理科との日常との関連づけについて

理科教師をやってるとよく見かけるのが生活との関連づけ。

 

以前デューイ派学派の研究の本において

「学校で得た知識は日常で役に立たなければならず、

日常の体験は学校で活かされなければ、学校はただの社会制度となる」

みたいなことが書かれてたわけですが…

 

これを見た時の大学一年生の頃の僕の感想は、

 

「なるほど!確かにそうだ!!さすがデューイさん!!」

 

みたいに思ったのを記憶してます。

 

でもよくよく考えると、これって

日常生活で使わないものは勉強しなくていい!

的な概念に陥りますよね。

 

ここでおそらく反論としては

「それは学校で得た知識を使おうとしないだけ、もしくは使えることにすら気がついていない。」

とか…まぁ色々あるでしょうが。

 

そもそも学びって、社会に役に立つから使うのでしょうか?

 

古文漢文を社会に出た後使わない人はいくらでもあると思いますし、

物理の知識を自分の社会に役に立つ!と思ってやってる人って果たして何人いるんでしょうか?

 

それこそ、そういった理論を展開するのであれば、

もっと使えそうな学問なんて沢山あるはずです。

 

ここで僕の悪い癖なのですが、もっと広く問いを立てると、やはり

 

「なぜ学ぶのか?」

 

ってところに行き着くんじゃないかなと思います。

 

これは自分なりの、現時点での答えはありますが、

それを書き始めると文字数が途端に長くなるのでこの辺で。

 

ぜひ、この記事に意見をいただけると幸いです。